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スロースターター

 あまりにも、トロくてバカな子供だった。ポヤ〜ンとして何も考えていなかった気さえする。私は3月28日生まれ。体格、運動能力、おつむの方も、何もかも同級生より遅れていた……というのが、ささやかな言い訳だ。


 中学に入ったばかりの春。生まれて初めて子供だけで、電車に乗って隣町まで出かけることになった。小学校5・6年の時の担任は、若い男の先生で、生徒にとても人気があった。彼を慕い、卒業後も連絡を取っていたクラスメイトが、隣町の学校に転勤になった先生に、皆で会いに行こうと言い出したのだ。
 当時、私の家は町の中心部から随分外れていたので、出かけると言えば自転車か、父の車だった。電車に乗ること自体、慣れていないうえに、大人が誰もいないなんて……ドキドキの大冒険だ。


 決行の日。駅に集まった十数人の後に続いて、私も改札を通ろうとした。すると「中学生は大人料金ですよ」と駅員に止められてしまった。間抜けな私は、中学の制服を着ていたのに、子供用の切符を買ってしまったのだ。
 モタモタするうち、気がつくと一人、ホームに取り残されていた。やって来た電車に、皆、乗り込んで行ってしまったらしい。私は途方にくれた。

 とりあえず次の電車に乗り、聞いていた降車駅で降りてみたものの、いよいよ困ってしまった。待ってくれているかも、と期待した皆の姿は見えず、そこから先の道を、私は全く知らなかったのだ。


 物怖じしない子供なら、辺りの大人に道を尋ねただろう。しかし人見知りの激しい私に、そんな勇気はない。となると引き返すのが普通だろうが、我ながら〝バカか?〟と思う。私は何となく足を踏み出し、見知らぬ街を、当てもなく彷徨(さまよ)ったのである。
 二十分ほど歩いただろうか。ふと見た道端の石柱に、何と、目指す学校の名が刻まれているではないか。フラフラとためらいながら入っていくと、すぐに校庭で、懐かしい先生が皆に囲まれているのが見えた。先生は私の顔を見て、「なんや、はぐれた言うてたけど、おるやないか」と言って笑った。

 今、五十年の人生を振り返ってみると、それなりに苦労はしたけれど、常に心の奥底で〝何とかなるさ〟と、ノホホンと構えていた気がする。どうしようもなく不安な道のりだったが、最後には何とかなってしまった、あの経験のおかげかも知れない。スタートは人よりトロくても、自分なりの人生の目的地に、いつかたどり着ければそれでいいや……とも思う。
 そこまで考えて、〝子供が一人で心細い思いをしながら行く道〟そして〝それを人生に例える〟という類似点から、芥川龍之介の『トロッコ』を思い出した。ただし、あちらはフィクション。こちらは、嘘のような本当の話だ。

 

- fin -

2016.09

『嘘のような本当の話』をテーマに書いたエッセイです。

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