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私の神様

 私は20代半ばから、朝の祈りを日課にしている。特に信じている宗教はないので、対象は漠然と「神様」である。起床するとすぐ水をお供えして、一日の平穏無事を願う。我ながら殊勝かつ健全な心がけだ。
 しかし、この習慣のきっかけは、祈りではなく呪いだった。今思うと空恐ろしいが、真剣に、相手の不幸を望んでいた。


 私の父は左官業から身を興し、一時は20人ほどの従業員を抱える工務店を経営していた。しかし放蕩のあげく会社は倒産。その後は細々と、大手建設会社から委託を受け、注文住宅を建てる仕事をしていた。委託料の一部を前金でもらい、大工や水道屋、電気屋、内装屋などを手配。それぞれの業者の仕上がりをチェックし、発注先に引き渡すと、残りのお金が支払われる。
 父は50歳になる年、胃癌で余命3ヶ月と宣告された。寝たきりで口もきけなくなった父の代わりに、私は建てかけの家を一軒完成させ、業者への支払いをしなければならなかった。しかし父の口座の残額は全然足りない。いったい父はいくらでこの仕事を受注し、前金はいくらだったのか。振り込まれるはずの残金は、あといくらなのか。父の部屋を上から下までひっくり返したが、契約書の類(たぐい)は出て来なかった。建設会社の担当者に連絡を取ろうとしても、逃げ回って一向に捕まらない。待ち伏せしてやっと会い、問いただしたけれど、明確な回答は得られなかった。
 当時、私は父と別居して5年経っていた。父の仕事のことなど何もわからない。24歳の小娘が、大手建設会社の営業マンに太刀打ち出来るはずもなかった。結局、業者への支払い残高として、約5百万の借金が残った。


 以来、毎朝父に水を供えて彼を呪い続け、一年ほど過ぎた頃だろうか。人づてに彼が、父の墓参りをしたいと言って来た。「何を今更」と、私は即座に断った。だから、彼に何があったのかは知らない。ただ私には、こう思えた。彼が、自分に不幸が降り掛かったと感じた時、父への仕打ちを思い出したのだと。

「人を呪わば穴二つ」という諺は理解している。もし私の呪いが成就したのなら、きっと私も不幸になるのだろう。
 けれど私も今年、父が最期を迎えた50になる。そして幾多の経験をしてわかったのだ。人生には、自分の力ではどうしようもない災難が、襲ってくることもある。しかし「幸不幸は、自分の心が決める」のだと。
 何かいいことがあると「今日はいい日だ」と思っていた頃と違い、今は、何事もない一日を、しみじみ有り難いと思えるようになった。
 私は今も毎朝、神様に水をお供えし、心の中でつぶやいている。
〝今日も一日、無事で過ごせますように〟

 

- fin -

2016.03

『声をかけた・かけられた』をテーマに書いたエッセイです。

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