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一期一会

 出逢ったのは10年ほど前、出雲大社を訪れた旅先でのこと。

 観光地の賑わいを少し外れた、落ち着いた佇まいの商店街に、地元の人が訪れるような小さな酒屋さんがあった。バスの発車時刻を待つ間の、ほんの暇つぶしのつもりで寄った店だった。そこに並んでいたガラスの小鳥たちに、私は一目惚れしてしまったのだ。
 片手に握り込んでしまえるほどの大きさの、コロンとした塊。ツヤツヤ、スベスベの表面に、透明なガラスの質感。鮮やかな色彩をもつもの、金や銀の箔を入れ込んだもの。足はなく、水に浮かんだ水鳥のような、シンプルを極めた形には安定感があり、少々ぶつけたぐらいでは、割れたり欠けたりしそうもない。
 日本酒と一緒に置かれていたところを見ると、もしかしたら箸置きとして売られていたのかも知れない。しかし私は中学生の頃からバードウォッチングが好きで、小鳥のデザインそのものに目がなかった。使い道など念頭になく、とにかく欲しくてたまらなくなった。
 色、柄の違いで、一つ5百円台〜7百円台。時間を気にして急かす友人を尻目に、「あ〜出来ることなら全部買って帰りたい!」と言いながら、そこにあった20個ほどの中から、5つを選んだ。

 そのうち2つは同じく小鳥が好きな友人にあげてしまったが、残った3つは今も手元にある。

 眺める度にほのぼのと嬉しくなる、美しい飾り物として。

 現在49歳の私は、過去30年間で12回の引っ越しをした。平均すると2年半ごとに家移りしたことになる。しかも住処(すみか)はたいてい狭い賃貸。自然に、「たくさん物を持つのは煩わしい」という感覚が身に着いた。だから引っ越すたびに、どんどん荷物は減っていく。
 そんな私が、この時買ったガラスの小鳥は手放す気になれない。とても気に入っているからだが、失くしたら最後、二度と手に入らないと思うためでもある。形は同じでも、嘴の出っ張りぐあいや、尾の太さ・長さなど微妙に違うので、一つ一つ手作りされた物に違いない。あの酒屋さんの名前は忘れてしまったし、今となっては場所さえ定かではない。どんな人が作ったのか、店の人に聞いてみたいと思ったけれど、時間もなく、その勇気もなかった。


 よく読むネットのコラムに「都会で暮らしていると、何でも容易(たやす)く手に入るから、物に対する執着が薄くなった」と書かれていた。確かにそうだろう。取り替えが利くなら、今ある「これ」に固執する必要はない。
 しかし、私のガラスの小鳥のように、同じ物に巡り会うことが難しい場合もある。物との出逢いも、一期一会なのだ。本当に欲しくて手に入れた物は、これからも大事にしたいと思う。

 

- fin -

2016.01

『買い物』をテーマに書いたエッセイです。

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