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拾われっ子幻想

 幼い頃、親にひどく叱られた時や、他の兄弟の方がいい目を見ていると感じた時。
「私は本当はこの家の子じゃないかも知れない」と、誰でも一度は思った事があるのではないだろうか。


 私の場合、あまりにも母と似ていない事実が、その疑いに拍車をかけた。
 誰が見ても美人だった母に比べ、私は自他ともに認める不細工。母は活発で社交的、私は陰気な子供で、いつも人の後ろに引っ込んでいた。テキパキしていて何でもソツなくこなす母に対し、私は何をやっても下手、しかも、どうしようもないグズだった。
 とにかく母は手先が器用な人で、園芸、編み物、洋裁と、様々な才能を発揮した。私達兄弟が小さい頃は、私のスカートを縫ったり、弟たちのセーターを編んだりして、よくお手製の服を着せてくれたものだ。
 しかしそれは、母が女らしくて優雅だった、という話ではない。もっと現実的な理由、買うより安上がりだったからだ。むしろ私にとって、しつけに厳しく口うるさい母は、鬼のように恐ろしい存在だった。小学生の頃、私は母に追いかけられる悪夢を見て、何度もうなされた。夢の中では、母の正体は巨大なゴリラだったり、地球を乗っ取るために私達を抹殺しようとしている、不気味な宇宙人だったりした。
 けれども、母に置き去りにされる夢を見て泣いた夜、「怖い夢見たんか?」と頭をなでてくれたのも、母の暖かい手だった事をよく覚えている。

 人間、何が幸いするか分からないものである。

〝なぜこんなにも、私は母に似ていないのか?〟

その疑問は私に遺伝学への興味を抱かせ、図書館にあった関連書籍を次々と読みふけらせた。高校3年の模擬試験で生物の成績が学年トップだった事は、私の数少ない自慢のタネとなり、短大入試に合格するための、大きな助けとなったのだ。

 今年68になった母は、ベランダを緑のジャングルにし、ペットの犬にセーターを編んでやり、ウェストのキツいズボンを手直しして「はきやすくなった」と悦に入っている。犬とおそろいのセーターをもらっても、正直私は迷惑なのだが、母に一番世話を焼かせた下の弟は、素直で可愛いお嫁さんをもらった。「手編みはあったかい」と言って喜んで着てくれる彼女のために、母の指は今年の冬もせっせと働くのだろう。
 この際、私は一生、不器用でも構わない。ただ母の指が、いつまでも元気で手仕事を続けてくれるようにと、願うばかりだ。

 

- fin -

2013.09

『手や指や爪にまつわる事』をテーマに書いたエッセイです。

 

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