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誰にも言えない

「断捨離(だんしゃり)」とやらが今、流行っているらしい。コンセプトは、「モノへの執着を捨てること」。捨てられない物にスペースと心の余裕を奪われ、物と一緒にストレスを溜め込む人が多いのだとか。そんな彼らに知られると憎まれそうで、怖くて誰にも言えないのだが、「何をいまさら」と私は思っている。20年も前から、それを実行してきたからだ。

 手紙や年賀状は一年分だけを残し、期限が過ぎればすっぱり処分する。頂いた飾り物や絵はがきは、部屋の一番いい場所に飾って日々鑑賞し、それをくれた人の厚意と、ご縁に感謝しつつ過ごす。大切に扱い、存分に堪能すれば、埃がついたり色褪せたりして見栄えが悪くなる頃には、未練なく捨てられるようになっている。一事が万事その調子で、溜りやすいと言われる「何年も着ていない服」や、「処分に困る写真」なども、我が家にはほとんど存在しない。

 

 こんな私も、昔は「捨てられない」人だった。それが、物は少ないほどよい、と考えるようになったのは、この20数年で10回の引越を繰り返したせいだろう。断腸の思いで物を捨てて来た結果身に付いた、思えば悲しい習慣である。

 中でも一番大きかったのは、父の遺品を整理した経験だ。

 父は多趣味な人だった。男だてらにお茶やお花をたしなみ、茶道具や陶磁器を集めていた。母に「読みもしないのに」と罵られながら、「老後の楽しみ」と嘯(うそぶ)いて、有名作家の全集などを書斎の本棚に並べ、悦に入っていた。しかし、父に老後は、ついに来なかった。50になる前に他界したからだ。

 

 当時、一人暮らしだった父の部屋を見て、つくづく感じた。「物に価値を与えているのは、それを持つ人の心なのだ」と。

 お金に困っていた父が、高く売れる物など残していたはずはない。しかしそれでも、桐箱に入った小振りの茶器や花器が、押入の中から見つかった。父が好きで買い集めたものの一部に違いない。けれど、父の好みや価値観を、分かち合う機会がなかった24の小娘の目には、それらはただのガラクタにしか見えなかった。「父も気が利かない。金の延べ棒にでも換えておいてくれたら、判りやすかったのに」とは、今だから言える冗談だ。やむを得ない状況だったとはいえ、二束三文で手放してしまったことを、今は少し残念にも思っている。

 

 私も40半ばを過ぎ、あと数年で父の享年を超えるが、未だ仮住まいのアパート暮らし。果たして、流浪の民に安息の地はあるのか? 見通しは立っていない。しかし、もし終(つい)の住処(すみか)を定めたら、実は大変モノグサな私、とたんに物を溜め込みだすのではないか。他人の目には立派なゴミ屋敷に見えるかも知れない。そう思うと、やっぱり偉そうに「断捨離は得意」などとは、誰にも言えないのだ。

 

- fin -

2013.03

『若い頃は○○と思っていたけど、今は△△と思うようになった』をテーマに書いたエッセイです。

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