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「地方」の定義

 47歳にして、初めて「地方」に移り住み、今年で3年目を迎える。
 それまでは、主に京都府南部から奈良県北部にかけての一帯で暮らしていた。東京、大阪、神戸、名古屋に友人がいて、彼女らの環境と比べると、「田舎だよなぁ」と思っていた。

 でも今考えると、京都市内や大阪の中心部へ、電車で1時間足らずで行けたのだから、「都会ではないか!」と思う。


 都会と田舎という言葉は何となく使っているが、実際、どこからどこまでがそうかと問われればハッキリしない。分かれ目は線ではなく帯状で、段階的なものだろう。
 同じく「地方」という言葉も漠然としている。正直言って、この三重県伊賀市に越してくるまで、あまり意識したこともなかった。


 しかし今の私は、「地方」の定義を身を以て知っている。それは「車」が生活必需品であるかどうかにかかっているのだ。
 引っ越しが決まり、最寄り駅の時刻表を見た時、余白の多さに気が遠くなった。地元民の夫が、「こっちに来たらすぐに運転免許を取ってね」と言った意味を理解した。が、私は四半世紀近くも、公共交通機関で何不自由なく、好きな時に好きな場所へ出かけていたのだ。移動時間とは、読書や考え事に気兼ねなく使える、貴重で楽しい時間であった。それを何故、ストレスフルな労働時間に変えねばならないのか? それに、運転は怖いし面倒くさい。

 ……などと心中、激しい抵抗感があったが、仕方なく教習所に通い始めた。


 教習生は年齢も職業もマチマチだ。カリキュラムもそれぞれ違うため、来る時間も帰る時間もバラバラ。加えて皆、免許取得のため必死だから、時々同じ顔を見かけても、打ち解けて談笑するような余裕や時間はなかった。
 ただ私にとって興味深かったのは、外国人の姿が目立ったことだ。白人のような、違うような……と思っていたら、ブラジル人が多いのだとか。名古屋と京阪神を結ぶ高速道路が通り、物流に利点があるので、自動車部品などの大規模な工場が点在している。そこで働く外国籍の人々が、仲間同士や家族ぐるみで暮らしているらしい。


 観光客以外の外国人が珍しくて、ジロジロ見すぎたのだろう。一人の白人男性が、片言の日本語で話しかけてくるようになった。ちょっぴりお腹がつきだし頭も薄い外見から、私と同じ世代と思われたが、人なつこそうな笑顔が少年のようだった。名前は〝オウガスト〟さん。「8月か!」と思ったので覚えている。ブラジルはポルトガル語が公用語だそうで、英語すら満足にできない私と、彼との会話はほとんど成り立たなかった。が、会う度彼はニコニコしてくれた。
 どうにか教習所を卒業でき、最後となった日。彼は「もう会えなくて淋しい」と言って私の手の甲にキスをした。内心の動揺を押し隠し、私は笑顔で「お元気で」と別れを告げた。
 再婚したばかりだった私は、「人生最後のモテ期?」と勘違いしかけたが、たぶん違う。きっとラテンアメリカ式の社交辞令なのだ。


 でも、でも……もし彼がジョニー・デップのようなイケメンだったら……ヨロメイてアバンチュールに走ったかも……。なーんて、そんなワケないか。

 

- fin -

2016.07

『異文化交流』をテーマに書いたエッセイです。

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