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十九の夏、両親が離婚した。三人の子供それぞれの個室と、父の書斎、仏間や縁側まであった一軒家は人手に渡り、六畳二間と四畳半のボロアパートに、母子で引っ越した。もちろん荷物の大半は、処分するしかなかった。
ついでに私は、父への愛も関心も捨て去った。母に対する裏切りが、許せなかったからだ。
五年後、父がもう助からない病だと聞いた時、私は東京で一人暮らしをしていた。やっと落ち着いたばかりだった職場もアパートも引き払い、京都へ帰る気になったのは、今から思うと魔が差したとしか言いようがない。待っていたのは、治療費と生活費と、どこにどれだけあるのかもわからない借金のため、私の方が死にたくなるような日々だった。
「胃癌に痛みは付きものですが、あれほどひどい苦しみようも珍しい」
気の毒そうに医者は言ったが、私はむしろ当然の報いだと思った。私が向ける憎悪と怒りの眼差しを、父もそう受け止めたに違いない。四ヶ月の闘病の末、誰からも惜しまれずに死んでいった。
あれから約二十年。忘却とは、何と優しく有能な癒し手であることか。
私の夢に出てくる父は、いつも申し訳なさそうな顔をしているが、
「もういいから、笑ってよ」
と私は思うのだ。そして時折、古いオルゴールの蓋を開け、幼い頃に父からもらった、玩具(おもちゃ)の首飾りを眺めてみる。
私は本当に心から、父を許したのだろうか。
その問いに、答えの出る日は来ないかも知れない。
けれど一つだけ言えることがある。捨てたつもりの父への想いは、ずっと私の中にあり続け、これからも消えることはないだろう。別れて以来、十回の引っ越しを経てなお、手元に残る形見の品のように。
- fin -
2009年
『どうしても捨てられなかったのもの』をテーマに書いたエッセイです。
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