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幸せのモノサシ

 人が日々、幸せに暮らすためには何が必要不可欠か。お金、健康、家族、仲間、仕事、自由になる時間、誰かと一緒に過ごす時間……どれも大切だが、絶対とは言い切れない。人によって求める「幸せの形」は違うし、そもそも「幸せ」とは主観的な観念だからだ。
 大金持ちで美人の奥さんがいて、仕事も順調、子供達はみな優等生、そんな男がいたとしても、彼が幸せかどうかは誰にも分からない。もしかしたら奥さんの浮気が心配で鬱々としているかも知れない。常に水虫が痒くて幸せを感じる暇などないかも知れない。他人の目から「幸せ」は測れないのだ。
「幸せとは、満足を知る心です」とは、ネパールかどこかのお坊さんの言葉だそうだ。要は、どれだけ自分で自分に満足しているか。つまり「幸せ」を測るモノサシは、自己肯定感だと思う。


 前置きが長くなったが、私はこの頃、夫を見ていてつくづく思う。「あれだけ自己肯定感が強いと、毎日幸せだろうなぁ、羨ましいなぁ」と。
 彼の体型は、たとえて言うなら信楽焼のタヌキだ。五頭身くらいのズングリムックリした体に、でっぷり突き出したお腹。肩が前に丸まっていて猫背のため、姿勢が悪く見える。顔はカバに似て、小さな目、大きな鼻、鼻の下が長く唇は分厚い。客観的には、お世辞にも美男とは言い難い。
 しかし彼は自分を「キムタク並みのいい男」だと考えている。初めは冗談を言って笑わせているのだと思っていた。が、結婚して3年、どうやら本気らしいと思うようになった。言動が全くブレないからだ。
 事あるごとに彼は言う。

「自分はカッコイイから、生徒の人気者だ」と。ちなみに彼の職業は高校の教師。齢は今年還暦の60歳。
 身だしなみには細心の注意を払う。洋服の数は私の4倍以上。朝晩、育毛剤を欠かさぬ涙ぐましい努力の賜物か、何とか地毛を保っている。放っておくと真っ白になるその髪を、月に1度か2度、頼まれて私が家で真っ黒に染め上げる。その時の格好ときたら……裸の上半身にケープを付けた夫は、「裸の王様」そのものだ。見た目がそれっぽいばかりでなく、自分の滑稽さに気づいていない点も。
 とは言え、一緒に暮らすなら、いつも不機嫌そうな人より、幸せそうな人のほうがずっといい。私こそ「満足を知る」べきなのだろう。たとえ、歪んだ審美眼を持つ彼に「可愛い」と言われ、ガックリきても……あるがままの自分を受け入れ、その言葉に感謝するしかない。
 諦めの積み重ねでも、自己肯定感は確実に上がっていく。これが、51歳を迎えようとする春に、ようやくたどり着いた私の悟りの境地だ。

 

- fin -

2017.03

「たとえて言うなら」このフレーズを使うをテーマに書いたエッセイです。

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